「合気道」の起源
合気道は「大東流合気柔術」にその端を発しています。大東流合気柔術の起こりは清和天皇の第6皇子・貞純親王にあると言われ、親王の長子・経基を経て源家に代々伝わり、甲斐源氏の祖である、源義家の弟・新羅三郎義光(1045年~1127年)によって現在の合気道の基礎が作られたと言われています。義光はクモが張りめぐらした巣網で自分より大きな相手をからめ捕るのを見て技のヒントを得たりしたと言われています。
「大東流」と「合気道開祖・植芝盛平先生」
武田家秘伝の武芸として門外不出のまま代々伝えられていた「大東流」は明治時代になって武田家の末孫・武田惣角先生によって初めて一般に公開されました。惣角先生は、各地を巡って数々の逸話を残しています。後に合気道を創始する植芝盛平先生は、北海道紋別郡白滝原野に開拓民として入植していた時に、武田惣角先生と出会い、大東流柔術を修業しました。大東流に各流各派の精髄をとり入れ、さらに厳しい精神的修行を経た後に、独自の工夫を加えて、現在の「合気道」を確立されました。昭和6年に東京都新宿区若松町に「合気道本部道場」をかまえ、現在は3代目植芝守央道主が受け継いでいます。日本国内から世界各地まで合気道の普及に力をつくされ、大きな成果をあげています。
「塩田剛三先生」
合気道開祖・植芝盛平先生は戦前より内弟子制度を取り、様々な弟子を養成されました。塩田剛三先生は18歳の時に植芝先生に師事し、8年間にわたり内弟子として厳しい修行を積まれました。戦後、昭和29年に行われたライフ・エキステンション(長寿会)主催の「日本総合武道大会」において最優秀賞を受賞しました。「昭和の達人」として知られている塩田剛三先生が体系化した合気道は、上達カリキュラムが整っており、警視庁機動隊員や婦人警察官の訓練にも採用されています。
「安藤毎夫師範」と「合気道龍」
安藤毎夫師範は、昭和31年に愛媛県新居浜市に生まれ、徳島大学在学中に合気道を開始し、合気会弐段を取得されました。卒業後、昭和56年に内弟子として塩田剛三先生の下で長く修業を積みました。平成元年より千葉県浦安市で合気道の指導を開始し、それを元に平成8年に独立し、平成11年3月に合気道専門道場を創設しました。その後「NPO法人」となり、千葉県浦安市に本部道場を構え、幅広く合気道普及活動を展開しています。日本はもとより世界中から合気道愛好家が頻繁に訪れ、合気道の普及発展の要になっています。
「三橋亮師範」と「蒼龍」
蒼龍代表・三橋亮師範は、昭和55年に千葉県市原市に生まれ、16歳の時に安藤師範の下で合気道を始めました。その後、平成15年より9年間の内弟子修行の後に独立し、平成24年に会員の協力を得て、千葉県市原市の自宅の倉庫を改装し、合気道専用道場を開設しました。
「蒼龍」は、道場を開設する際に名付けた団体名です。「龍」で合気道家として育ててもらい、独立し開設することが出来た道場なので、「龍」の文字が入った名称が良いと思っていたところ、旧日本海軍に中国の神話の四神の一つでもある、「蒼龍」という名前の航空母艦が存在したことを知りました。自分の道場が、社会の役に立つ人材が育ち巣立ってゆく、人材育成の航空母艦になって欲しいという願いをこめて道場名を「合気道蒼龍」と名付けました。現在、千葉県市原市・袖ケ浦市・千葉市を中心に合気道普及活動に励んでおります。